福岡地方裁判所 昭和50年(ワ)673号 判決 1982年11月19日
原告
倉原登喜夫
外四九名
原告ら訴訟代理人
井手豊継
同
小島肇
同
小泉幸雄
同
林健一郎
同
諫山博
同
古原進
同
上田国広
同
内田省司
同
辻本章
同
馬奈木昭雄
外五名
被告
福岡県
右代表者知事
亀井光
右訴訟代理人
西山陽雄
同
合山純篤
右指定代理人
中野昌治
外一名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1被告は、原告ら各自に対し、別紙損害一覧表中に合計欄記載の各金員及びこれに対する昭和四八年七月三一日から支払ずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
2訴訟費用は被告の負担とする。
3第1項につき仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
1主文同旨。
2被告敗訴の場合仮執行免脱宣言。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1当事者の地位等
被告は、三郡山山系にその源を発し、福岡県粕屋郡宇美町及び同郡志免町を貫流して、福岡市東区新橋で多々良川と合流しながら博多湾へと注ぐ、二級河川宇美川(以下「本件河川」という。)の管理者たる福岡県知事(以下「知事」という。)を長とする地方公共団体であり、原告前岡政男、同小浦昭男、同西トモエを除くその余の原告らは、いずれも、昭和四八年七月三一日当時、右宇美町の本件河川右岸付近の福博中央区(別紙図面記載の赤枠で囲まれた部分、以下「本件被災地」という。)に居住していた者であり、前岡金三郎、小浦芳松、西勇吉も、右原告らと同様であつたところ、これらの者(以下、同人らを含めて「原告ら」ともいう。)はいずれもその後死亡したため、右前岡及び小浦についてはその子である原告前岡及び同小浦が、右西については妻である原告西が、いずれも相続によつて、そのそれぞれの権利義務一切を承継した。
2災害の発生
昭和四八年七月三一日午前二時頃、前日来の豪雨により、本件河川の右岸に築かれていた堤防のうち、別紙図面記載のイ、ロを結ぶ赤線で表示した部分(以下「本件堤防」という。)が決壊し、流出土砂、流木等を伴つた氾濫流が同堤防を越え、瞬時の間に本件被災地一帯を襲つたため、原告らを含む同地一帯の住民は、長時間にわたる浸水被害を被るとともに、それぞれ居住家屋の全半壊や家財道具類流失等の被害をも免れ得なかつた(以下、かかる被害状況を総称して「本件災害」という。)。
3被告の責任
(一) 本件災害は、本件堤防の決壊によりもたらされたものであるところ、右決壊は、豪雨により水位が上昇した本件河川の流水が、右堤防の下流に設置されていた正法橋(以下「本件橋梁」という。)の橋桁に引掛かつた流木等によりせきとめられて、その流下を妨げられ、そのために、同橋梁の上流部分の水位が急上昇(いわゆるせき上げ)し、これによつて同堤防を越えた流水が、その外側から同堤防を非常な勢いで削り流すとともに、その内側からは増大した水圧の作用が加わり、もつて、同堤防を一挙に崩壊させたことによるものである。
(二) ところで、およそ、河川管理の任にあたる者としては、その管理下にある河川につき、当該河川が「通常有すべき安全性」を具備するよう適正な管理をなし、もつて洪水等による災害の発生を未然に防止すべき義務があるといわなければならない。
しかして、河川において「通常有すべき安全性」とは、当該河川が置かれている地形、地質等の自然的条件の下で、許可工作物等の人工設備も含めた河川全体として、通常予測される洪水(計画高水流量規模の洪水)に対しては、これを安全に下流へ流下させ、もつて右洪水による災害を流域内住民に及ぼすことのないような安全な構造を備えることを指称するものであるところ、知事は、本件河川につき、以下のとおり適正な管理を怠り(管理の瑕疵)、もつて、本件河川をして「通常有すべき安全性」を欠如させるに至らしめたものである。
(1) 本件橋梁の設置許可による管理の瑕疵
橋梁の設置は、元来道路管理者による(もつとも、本件の場合、道路管理者は被告であるから、橋梁設置もまた、被告の責任に属する。)ものであるが、洪水、高潮等による災害発生の防止、河川の適正利用及び流水の正常な機能の維持という見地から、河川法二六条は、河川区域内の土地において工作物を新築し、改築し、又は除却しようとするものは、建設省令で定めるところにより、河川管理者の許可を受けなければならない、と規定し、更に、同法一三条一項は、河川管理施設又は右二六条の許可を受けて設置される工作物の構造につき、一般的基準を定め、同条二項においては、右工作物のうち主要なものの構造については、河川管理上必要とされる技術的基準を政令で定めるものとしている。
右各規定に基づき、右政令にかかわるものとして事実上河川工作物の設置基準となつている、建設省作成の河川管理施設等構造令案(以下「構造令案」という。)においては、橋梁がしばしば洪水の流下に対し障害物となり、河川の氾濫を惹起する事実に注目し、特にその六二条で、「橋は、水位、流量、河川の規模、流水の状態、地形等を考慮して、高水時の流れに著しい支障を与えない構造とするものとする。」と定め、更に、六三条一項及び二項で、洪水の流下にとり重大な要素となる桁下高につき、次の如き規制を設けている。
(一) 一項
「橋の桁下高は、計画堤防高以上とするものとする。ただし、地形の状況等を考慮してこれによることが適正でないと認められる場合においては、この限りではない。」
(二) 二項
「流木等の多い河川又は地盤沈下のおそれのある地域の河川については、計画堤防高に必要な余裕高を加算した高さ以上とするものとする。」
本件橋梁は、三郡山山系の近くに位置しており、洪水が生じた場合大量の流木等が本件河川に流れ込むことが十分予測され得たのであるから、右二項の規定にしたがい、本件橋梁の桁下高は、少なくとも計画堤防高に必要な余裕高を加えた高さとされるべきであつた。しかるに、本件橋梁の主桁は、不必要とも思える程部厚いうえに、桁下高も、既設の堤防とほとんど同じ高さか、それ以下の高さしか有しなかつた。即ち、右岸堰堤は、本件橋梁の上下流側ともほとんど桁下と同じ高さであり、左岸堰堤も、その上流側は桁下とほとんど同じ高さであり、下流側のみが桁下より約七〇センチメートル程度高くなつていたに過ぎない。そして、本件災害は、かような、本件橋梁の余裕高の少ない橋桁に流木等が多数引掛かり、本件河川の流下能力に重大な障害を与えて、いわゆるせき上げの現象を招来したことに起因する。
そうすると、知事が、このように洪水の流下に対し明らかに重大な障害となることが予測される本件橋梁の設置につき、何らのチェックもせず、漠然とこれに許可を与えたことは、本件河川の管理につき瑕疵があつたものといえる。
(2) 本件河川自体の管理の瑕疵
本件橋梁より約一〇メートル程下流に、同橋梁の架設前から固定取水堰が設置されており、このため、同橋梁付近の河床における土砂の堆積には著しいものがあり、本件災害当時は、同橋梁の桁下と河底との間隔は、一メートルそこそこしかなく、架橋当時と比較すると著しく狭められていた。しかも、本件橋梁設置後、上流に位置する三郡山山系中の国有林が大量に伐採されたため、いつたん大雨が降れば短時間内に、本件河川に大量の降水、土砂、流木等が一気に流れ込むことが予測されるなど、本件河川及び本件橋梁付近の状況には、同橋梁設置当時に比して顕著な変化が生じていた。
かかる場合には、知事としては、洪水の氾濫による水害の発生を防止するため、本件橋梁付近の河幅の拡張工事や河底の浚渫工事等を行つて、本件河川の流下能力の確保に努めるべきであつたにもかかわらず、知事は、右のごとき状況の変化を漠然と見過して、右工事等をなすことなく放置し、本件河川の適正な管理を怠つたものである。
(三) このように、本件河川の場合には、管理の瑕疵として、右の如き二種の瑕疵が存するが、これらは、それぞれが独立した瑕疵であると同時に、それらが競合することにより、水害発生の危険性は二倍にも三倍にも拡大されたといえるのである。
したがつて、被告は、本件河川の管理者たる知事を長とする地方公共団体として、国家賠償法二条に基づき、原告らに対し、本件災害によりこうむつた損害を賠償する責任がある。
4原告らの損害
(一) 損害の概要及び特殊性
(1) 原告らは、昭和四八年七月三一日当時、いずれも本件被災地において、土地家屋を所有しあるいは家屋を賃借して、その家族と共に居住していたところ、本件災害により瞬時にして、大量の土砂、泥土、流木等を伴つた濁流によつて床上1ないし1.5メートル位まで浸水されたため、家屋や家財道具類の大半が流出し、あるいは流出を免れたものの、数時間泥水の中にあつたことから、その後の使用が不可能となつたばかりか、本件災害の発生した時刻が、原告らが就寝してまさに熟睡しようとする頃合であり、洪水の発生に気付くのが遅れたことから、一時は、被災者全員が死を覚悟したほどの、危険な状態に置かれた。
しかも、本件被災地から水が引いた後には、大量の土砂、泥土、流木、破損した家具類等が、各家屋の内外を問わず一面に堆積していたため、原告らは、その後片付けや清掃に多大の費用と労力、時間を必要とし、我家に再び住めるようになるまでには何十日間も汚物と取組み、我家に住めるようになつてからでも、絶え間のない生活苦と闘わざるを得なかつた。
(2) 右の如く、本件災害の特徴は、原告らの居住家屋のすべてが、大量の土砂、泥土、流木等を伴つた濁流によつて床上1ないし1.5メートル位まで浸水されたため、家屋損壊又は汚損の被害を被るとともに、原告ら及びその家族の家財類のほとんどが、右濁流に流されて紛失するか、そうでないまでも、泥水による数時間の浸水によつてその後の使用がまつたく不可能となつたことにある。
ところで、従来の損害賠償理論によれば、多種の損害費目のもとに含まれる多岐多様の個別損害を集積して全体の損害額を算出することになるが、本件災害のような場合、これら個々の損害をいちいち列挙することは、現実には不可能に近く、仮に列挙し得たとしても、その金銭的評価は不可能又は著しく困難であるのが通常である。したがつて、本件の如き水害訴訟において、被害者に全損害に関する個別具体的な主張、立証を要求することは、結局、被害者に不可能を強い、被つた損害の十分なる回復を訴訟によつてはかろうとする途を閉ざすことになる。
このような理由で、原告らは、本訴において、家屋の損壊ないし汚損及び家財類の流失ないし使用不能による損害につき、伝統的な個別具体的な損害額の積重ねという方法によるのではなく、後記の如き、合理的と評価できる定型的方式により、本件災害による損害額を算出する。
(二) 損害額の算出
(1) 家屋の損壊ないし汚損
(ア) 全壊ないしこれに準ずるもの
原告のうち、家屋の全壊又はこれに近い被害を受けた者の、損壊ないし汚損による被害額は、本件災害発生当時の当該家屋の時価相当額である。
原告らの居住家屋は、いずれも昭和一七年頃建てられたものであるが、本件災害発生当時の時価及び取得価額が判明しないので、右時価を求める方法として、いわゆる復成式評価法を用いた。その詳細は、別紙損害算出方法(一)記載のとおりである。
(イ) 原告らのうち、右(ア)より被害の程度が低かつた者でも、少なくとも次のとおりの損害を受けた。
(ⅰ) 雨戸の流失又は破損
(ⅱ) 窓ガラスの破損
(ⅲ) 障子の破損又は使用不能
(ⅳ) 襖の破損又は使用不能
(ⅴ) 畳の使用不能
(ⅵ) 壁の破損ないし汚損
(ⅶ) 床板、床柱の脆弱化
(ⅷ) 便所、風呂の破損
そして、各原告によつて、項目ごとに損害の内容、程度に若干の違いはあれ、原告らの右損害額は、控え目に評価しても各自につき四〇万円は下らない。
(2) 家財類の流失と使用不能
原告らは、火災保険の分野において各保険会社が基準にしている、財団法人日本損害保険協会発行の「保険価額評価の手引き」第五篇「家財の評価」欄に記載された手法に基づき、本件災害時における原告ら及びその家族が所有していた家財の総額を推計算出した。その詳細は、別紙損害算出方法(二)記載のとおりである。
(3) 雑損(逸失利益を含む。)
原告らが、前述した後片付けや清掃のために要した費用、これによる休業期間中に取得し得た筈の賃金、その他種々雑多の出費等を含めた原告らの損害は、控え目に評価しても、各原告につき三〇万円は下らない。
(4) 慰藉料
本件災害により原告らが被つた精神的苦痛は、各原告につきそれぞれ五〇万円(但し、原告倉原登喜夫については二五万円)をもつて慰藉されるべきである。
(5) 弁護士費用
別紙損害一覧表「弁護士費用」欄記載のとおり、控え目に見積つても、各原告につき、如上の損害額合計の一五パーセントに相当する金額をもつて、相当因果関係にある損害というべきである。
(三) 以上により算出した各原告らの損害の内訳けは、右損害一覧表において記載するとおりである。
二 請求原因に対する認否
1請求原因第1項中、被告の地位、本件河川の状況並びに原告前岡政男、同小浦昭男及び同西トモエに関する各相続の事実は認めるが、その余の事実は不知。
2同第2項中、原告ら主張の日に本件河川が氾濫し、その主張するような災害を被つた者がいたことは認めるが、原告らの被害状況については、不知、右氾濫の具体的な態様は争う。
3(一) 同第3項(一)中、本件橋梁の上流部分の水位が急上昇(せき上げ)していたことは不知、その余の事実は否認する。
(二)(1) 同項(二)冒頭(各号列記以外の部分)の主張は争う。
(2) 同項(二)(1)のうち、橋梁設置の許可が元来道路管理者によるものであること、河川法に設置工作物の構造に関する技術的基準につき原告ら主張のとおりの各規定があり、かつ、同主張のとおりの構造令案(但し、これは本件橋梁設置当時のものではない。)があることは認めるが、その余の事実は否認する。
本件河川の管理については、本件橋梁の設置、構造に由来する瑕疵はない。
(3) 同項(二)(2)のうち、固定取水堰が設置されていること(但し、その位置は本件橋梁より約七〇メートル下流の地点である。)は認め、国有林伐採の事実は不知、その余の事実についてはすべて否認する。
(三) 同項(三)の主張は争う。
4同第4項の損害額は不知、かつ、これに関する主張は争う。
三 被告の主張
本件災害は、前日来の豪雨が、災害当日に至り、時間最大降雨量一一五ミリを観測する未曽有の局地的な集中豪雨となつたためにもたらされたものであつて、いわゆる不可抗力によるものであり、被告に責任はない。なお、被告は、右の点を明らかにするため、以下更に敷延する。
1 河川管理の特質と瑕疵の判断
(一) 我が国の河川の自然的特性
我が国の河川は、その地理的条件からして、一般に急勾配で流路が短く、流域面積も小さい。他方、平野は、山地から運搬された土石が堆積し、これによつて形成された氾濫原として河川の下流地帯に存在するものが大部分であり、多くの人がかかる氾濫原たる沖積平野に居住せざるを得ず、国土に比して人口が少なく、沖積平野に居住する人がほとんどいない欧米諸国と際立つた対照を示している。
また、我が国の気象的特性として、例年六月初旬から七月中旬にかけての梅雨前線による集中豪雨、あるいは、八月から九月にかけての台風の来襲による広い地域にわたつての多量の降雨が指摘されている。
かかる地理的、気象的特性を相まつて、我が国の河川は、主に以下の如き自然的特性を形成している。
(1) 急勾配で水の出が早い。
地形的に、河川の流路が短く、河床勾配が甚しく急であり、このため洪水の出が早く、また流路が変動しやすい。更に、河川の勾配が山地から平地に出た地点で急激に変化しているため、このような変化点では、しばしば土砂の堆積と洪水の氾濫が生じている。
(2) 洪水のピーク流量が大である。
洪水の出が早く、梅雨、台風等による降雨量が大きいので、我が国の河川の単位面積当りの計画高水流量(比流量)は諸外国の河川に比べて一桁も二桁も大きい。
(3) ハイドログラフ(洪水流出時間曲線)がシャープである。
ハイドログラフは、諸外国の河川に比して極めてシャープであり、短時間に急激に変化している。このようなハイドログラフの特性は、洪水のコントロールに関し極めて重要な要因を占める。
(4) 河状係数が極めて大きい。
我が国の河川の河状係数(最大流量/最小流量)は二〇〇ないし四〇〇程度であり、諸外国の河川のそれに比べて、いわば一桁大きい。
(5) 流出土砂が多量である。
我が国は、山地が比較的急峻であるため、急流河川が多く、これら河川の洪水流出量も大であるうえ、地質的に花崗岩や片麻岩のような風化しやすい火成岩地帯が多いため、これらの地帯では崩壊や侵食が著しく、洪水時に多量の砂礫が水源山地から流出し、洪水流量を増大させ、氾濫被害を助長したり、土砂流による激甚な被害を惹起している。
このような地形的かつ気象的特性を有する我が国の河川は、元来、降雨、降雪といつた自然現象によつて生じた多量の雨水、融雪水を流下させていく径路として自然に発生し、これが氾濫することにより、平地を形成させてきたのである。
したがつて、河川は、いわば本来的に洪水氾濫という危険を内包しているものであり、河川に面した平野部は、その洪水氾濫によつて形成されてきたものであるから、元々洪水による被害を最も受けやすい立場にあるといえる。
(二) 河川管理の特殊性
我が国の河川については、右のような特性の故に、これに対する管理を特に道路に対するそれと比較すれば、次のような特殊性が認められる。
(1) 管理の対象が、道路では人・車という人為的なものであるために、その作用等についての予測は比較的容易であるが、河川では、その発生の予測や制御が著しく困難な、降雨及び流水という自然現象それ自体であるため、その作用等の予測も又、極めて困難である。
(2) 危険回避手段として、道路では通行止め等の比較的簡易な緊急手段によつて供用の停止を図ることができるが、河川の場合には、このような簡易な手段がなく、結局、築堤等の本格的治水工事によるほかはない。
(3) 道路は、安全性が確認されなければ供用を開始しないという方法により安全管理をすることができるが、河川は、供用の不開始という方法を採ることができず、危険を内包した自然な状態のままで管理せざるを得ない。
(4) 河川は、後述するような財政的、技術的、社会的、時間的制約下において管理せざるを得ないうえ、かかる制約の故をもつて、その管理を放棄することもできないという不可避性を有しているのに対し、道路は、諸制約に応じて供用しないという極限形式での選択が可能である。
河川管理は、右のような諸制約と危険を内包したままでの供用の不可避性の下で、いかにして最も効率的な災害の軽減をなし得るかという点に腐心しなければならない点に特質がある。
(三) 河川管理上の諸制約
河川は、前述したような特殊性を持つものであるが、これを管理するには、次のような避け難い制約が存する。
(1) 財政的制約
河川の内包する危険性を軽減するための有効適切な措置としては、治水事業によるしかないが、そのためには、極めて巨額な投資を必要とする。ところが、これには国や地方公共団体の限られた財源の一部しか充てることができないので、今後短期間に河川の整備を完全なものとすることは、到底不可能であり、当面の整備目標さえ、それを達成するためには、今後一〇年の年月が必要である。
(2) 技術的制約
河川は、流水という自然現象を対象とするため、その作用等の解明について事前にテストを行い、その効果を確認することは困難である。したがつて、治水の手段は、これらのテストなしに行われるため、最新の技術をもつてしても必ずしも安全とはいえず、また、河川により地形等に特性があるため、一般には十分であると考えられていた技術であつても、当該河川にとつては万全でないという事態も生じ得る。
また、前述の如く、洪水の原因となる降雨については、現在の科学技術水準をもつてしても、それを予測することは不可能であるほか、河川工事の実施に当つては、その河川の水系を全体的に眺めて、特に安全性の低い箇所、改修効果の大きい箇所から着手すべきであるが、一般にいつて、下流部から上流部に向つて順次工事を進めてゆくのが常態であるから、上流部の局部的部分を改修するための財政上の措置はでき得ても、下流部の改修が完了していない限り、当該部分のみの改修を先行することは適当でないという制約が存する。
(3) 社会的制約
昭和三〇年代から四〇年代半ばに至る間の我が国の著しい経済成長により、人口、資産が急激に都市に集中した。このため、既成市街地周辺部に宅地が求められるようになり、都市周辺の宅地開発は甚だしいものがあつた。しかして、かかる急激な土地利用の変化のため、排水が不完全のまま宅地化したことによる内水滞水、河川流域の宅地開発による保水機能の低下、地下浸透の減少、雨水流下時間の短縮等、流出機能の変化がもたらされるとともに、従来、浸水被害として意識されていなかつた内水氾濫が顕在化するようになつた。
また、これらの都市区域の河川改修に必要な用地取得は、地価の高騰や地域住民の強固な所有権意識あるいは生活問題がからんで、ますます困難となつており、それが河川改修工事を遅らす要因の一つともなつている。
(4) 時間的制約
河川改修工事は、一般的に長い区間にわたるものであり、しかも、順次改修区間を延ばしてゆくものであるため、長い工期を必要とし、大河川については、数十年の期間さえ費すことがある。
更に、河川改修は、河川内に設置される鉄道橋や道路橋の架替をも必然的に伴うことがあるので、これら他施設の架替計画との整合を図る必要があり、河川事情のみで改修工事を実施するには困難な場合が多い。
したがつて、この長期にわたる工事期間中に、洪水氾濫の生ずることも、已むを得ないものがある。
(四) 河川改修事業の現況
我が国においては、河川法に基づき、国直轄の大河川改修工事とそれ以外の中小河川改修工事がそれぞれ推進されているが、前述したような、我が国の地理的気象的条件下における河川の自然的特性から必要とされる投資額の膨大さ、人口、産業の都市集中と土地利用の高度化による河川周辺への資産等の集中に伴う治水投資の必要額の増加などにより、河川の整備率は必ずしも高いものではない(大河川約五四パーセント、中小河川約一四パーセント)。
これを福岡県の場合についてみると、施設整備基本計画策定当時の昭和四五年頃、同計画に掲げられた改修を要する河川は四七八本、そのうち、長期整備計画の対象となつている河川は二一七本、そのなかでも緊急を要するものとして中期計画の対象とされた河川は七六本、長期計画も中期計画もなされていない河川は二六一本であり、本件河川は、長期計画のみで中期計画の対象とされていない河川一四一本の中に含まれていた。なお、右計画の目標は、国土の有効利用及び住民福祉の向上を確保すべく、長期的な視点に立つて国土開発の基盤となる公共施設の整備を計画的に推進することにあり、したがつて、これに基づき策定された右計画自体、具体的に流量解析等に基づいて立案されたものではなく、いわば大要の計画というにとどまるものであるから、その意味からいつても、本件河川は、未計画、未改修河川として位置づけられていたことになる。もつとも、本件災害後に本件橋梁付近の改修工事が実施されているが、これは、昭和四九年四月に策定された本件河川の改修計画に基づき行われたものである。
(五) 河川管理の瑕疵の判断
(1) 河川管理上対処すべき危険と河川管理の瑕疵
国家賠償法二条一項における、営造物の設置、管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうものであるところ、右の「通常有すべき安全性の欠如」とは、営造物の設置管理上対処しなければならない危険との関係でいえば、当該営造物にとつて予想される通常の危険に対する安全確保上の設備、構造を具備していなければならないことを指称するものと解すべきである。したがつて、問題は、何をもつて当該営造物の危険と把握するかに帰着し、つまるところは、それに対する管理の具体的特性から決せざるを得ないことになる。
そうすると、河川管理の瑕疵を考えるについて指摘されなければならないことは、第一に、河川において管理上対処すべき通常の危険を、道路等の他の営造物の場合と同様に論じ得ないという点である。けだし、既述の如く、河川は、自然的に発生したものであり、本来的に洪水氾濫という危険を内包しているものであるから、かかる危険をもつて、河川管理上対処すべき通常の危険と把握し得ないことはもとよりのことだからである。第二に、水害を有効、適切に防止する手段としては、結局治水事業によるしかないが、右事業の水準は、当該時代の財政的、技術的、社会的、時間的な諸制約を受けざるを得ず、こうした諸制約下において、水害を最大限に防止、軽減すべきであるとの観点に基づかなければならないことである。
したがつて、河川において、何が通常の危険であり、それに対するどのような施設不備に国家賠償法二条一項所定の法的責任が問われるかということを判断するには、前述した諸制約の下で、治水事業の全国的水準がどの程度であるか、行政が通常どの程度の危険に対する対策をどのように講じているか、右水準からすれば最低どの程度の洪水には対処しておかねばならないか等を、具体的、帰納的に決してゆくべきであつて、ある河川について、洪水氾濫の発生しないような理想的管理状態をまず想定し、それを基礎において瑕疵の有無を判断するという手法には到底なじまないものである。
(2) 河川管理の瑕疵の判断
以上述べたところからすれば、河川管理の瑕疵が政治的責務に止まらず、法的責務にまで高められる場合は、極めて限定的な事例、即ち、河川管理者において、河川管理の現状が、財政的、技術的等の諸制約下において到達し得ている全国的な治水事業の一般的水準から判断して著しく劣つているため、何らかの営為に出るべきであるにもかかわらず、これを放置したような場合だけであるといい得るのである。
したがつて、本件において、被告の法的責任の存否を判断するに当つては、河川の有するかかる特殊性、治水事業の困難性、河川管理の限界等河川ないし河川管理の本質にまでさかのぼつて検討されなければならない。
2 本件橋梁の設置許可による管理の瑕疵の不存在
本件橋梁の設置を許可するについては、以下の如く、知事に河川管理の瑕疵は認められない。
(一) 本件橋梁が設置された当時の河川管理施設等構造令案は、原告らが主張する構造令案と内容を異にするものである。即ち、原告の主張するそれは、第七次案(昭和四五年七月作成)と称するものであるところ、本件橋梁が設置された当時は、橋梁のような許可工作物についての法的な設置基準は存在せず、ただ行政実務上の参考として、昭和三七年五月に、「河川占用工作物設置基準案」(以下「設置基準案」という。これが、昭和四三年四月作成の第一次案の素案となつた。)が作成されていただけであつた。
(二) 本件河川は、前記1(四)の如く未計画、未改修河川であるところ、設置基準案によると、かかる河川に設置する橋梁の桁下高に関する設置基準については、「橋梁の最低桁下高は計画堤防高以上としなければならず、計画堤防高のない場合の桁下高は高水位(橋梁が存在する箇所の堤防の標高。以下同じ。)に余裕高を加えた高さ以上とすること。」とされており、右のうち、「高水位に余裕高を加えた高さ」とは、改修計画のない河川については、「雨量、水位痕跡により算定して必要な高水流量及び高水位に余裕高を加えた高さ。」とされていた。
なお、原告らが、構造令案六三条二項として指摘するような内容を持つた条項は、設置基準案には定められていなかつた。
(三) 右のように、本件河川は、未計画、未改修河川であつたことから、計画堤防高はなく、したがつて、採用妥当な本件橋梁計画前の最大日雨量である昭和三八年六月二九日における二二九ミリを基礎として、別紙計画高水流量算定方式記載のとおり高水位を算定すれば、標高56.48メートルとなるところ、実際の桁下高はこれに0.618メートルの余裕を加え、既設の堤防高を超えるものであつた。
したがつて、本件橋梁の桁下高が既設の堤防とほとんど同じか、それ以下の高さしかなかつたとする原告らの主張は、事実に反するものである。
(四) 更に付言するに、橋梁のような許可工作物に関する本件災害当時の行政の実務にあつては、右(一)ないし(三)で述べたことは一応の基準案にすぎず、「現況堤防を侵さない」ことを第一義とし、自然状態に近い河川にあつては、自然のバランスを崩す現象のない限り現況をなるべく尊重する方策、即ち「現況主義」を最も妥当な治水方法として採用し、流量計算はあくまで右の現況主義のチェックないしは将来の河川改修計画の適合の問題でしかなかつたのであり、しかもかかる実務の運用は、建設省の指導にしたがつたものであつて、現在も変つていない。したがつて知事が本件橋梁の設置を許可するに当り、原告らが指摘するような河川管理上の瑕疵は存しなかつたといわざるを得ない。
3 本件河川自体の管理の瑕疵の不存在
本件河川自体の管理についても、以下の如く、知事の管理に瑕疵は認められない。
(一) 原告ら主張の固定取水堰は、本件橋梁より約七〇メートル下流に位置し、しかも、右橋梁付近から右取水堰に向つて河底は二〇〇ないし三〇〇分の一程度の下り勾配をなしており、したがつて、右取水堰の存在が土砂の堆積要因であるとは考えられない。また、右取水堰は、土砂が異常に堆積する虞れのある場合には、水通しの角板を落すことによつて流れをよくできる構造となつており、堆積と流下とのバランスが保たれていたものである。
(二) 仮に、原告らが主張する如く、本件河川の河幅の拡張工事ないし河底の浚渫工事を必要とするような状況があつたとしても、前記1(三)で述べた諸制約に照し、その実施は極めて困難であつた。
4 本件災害の原因
(一) 本件災害は、つまるところは時間最大雨量一一五ミリを観測する集中豪雨によつてもたらされたものである。即ち、本件災害の三日前には、時間最大雨量五〇ミリ程度の降雨があつたが、本件河川は、その降雨に対しては流下能力を示したが、右数値の二倍を超える右一一五ミリの降雨量に対しては、到底耐え得るものではなかつた。このことは、本件橋梁の上流はもとより、下流においても、広範囲にわたつて破堤、氾濫が生じたことからも明らかである。
(二) ちなみに、前記2(三)における高水位算出の基礎とした日雨量二二九ミリの数値は、福岡管区気象台観測の明治四二年以降昭和五四年までの年間最大雨量データに基づき、一般的に行われている三つの方法で計算すれば、その確率は別紙雨量確率計算式(一)記載のとおり、二〇分の一ないし二五分の一となる。
更に、前記時間雨量一一五ミリの数値につき同様に計算すると、別紙雨量確率計算式(二)記載のとおり、二〇〇〇年に一回も起り得ない程の天文学的確率となる。
(三) このように、本件災害は、通常の予想をはるかに超えた集中豪雨によりもたらされた不可抗力によるものといわざるを得ない。
四 被告の主張に対する原告らの反論
1「通常有すべき安全性」についての立証責任
原告らが被告の責任原因として主張しているところの、許可工作物等を包含した河川全体として「通常有すべき安全性」について、そもそも主張立証の責任を負担しているのは、被告側である。けだし、本件災害は現実に発生しているのであるから、被告の方から責任原因が存在していなかつたことを主張立証すべきは、当然の事理だからである。しかるに、本件で、被告がかかる主張立証責任を尽くしていないことは明らかである。
2人工公物と自然工物により、その管理責任に差異はない。
被告は、道路の管理と比較して、河川管理の特殊性、特にその困難性を強調している。しかし、人工公物と自然公物の違いによつて、被告のいうように、それらに対する管理責任に差異が生じてくるとは、到底解し難い。
3河川管理上の諸制約、特に財政上の制約について、被告は河川管理上対処すべき通常の危険をどのように捉えるかという問題につき、財政的、技術的、社会的、時間的諸制約下における現在の到達し得ている治水事業水準を離れては決し得ないと主張する。しかし、このような考え方は、治水事業の怠慢を免罪するにも等しい結果を招来するものであつて、不当である。ことに、右の財政上の制約についていえば、原告らは、社会常識を超えた過大な予算を必要とするような要求をしているのではなく、本件橋梁の設置にしろ、本件河川自体の管理にしろ、住民尊重の立場から、必要最少限の配慮と経費を注いでおけば、本件災害の発生はなかつたということを主張しているのである。
4右に述べたところに即して個々の問題点を指摘すると、以下のとおりとなる。
(一)日雨量について
被告は、本件橋梁を設置する際、日雨量二二九ミリを高水位算定の基礎とした旨主張する。しかし、日雨量二二九ミリというのは、我が国の気象条件の中ではそれ程珍らしいものではなく、福岡管区気象台の記録でいえば、4.4年ないし4.5年に一度の確率で現われる程度の数値であつた。したがつて、この程度の雨量を基礎として本件橋梁を設計したのでは、豪雨の際に欠陥が露呈されてくるのも当然である。
(二)計画高水流量の算定について
被告主張の別紙計画高水流量算定方式によれば、計画高水流量として毎秒九五立方メートルが算定されているが、その算出に当つて使用された流出系数、最遠地からの到達時間の算定方式、流域面積等の諸系数は、恣意的かつ安易に採用されたものであり、これにより計画高水流量が過少に算出されたことが、高水時において本体橋梁による流水のせき止めを生じさせ、ひいては本件災害を招来させた要因となつている。
(三)現況主義について
被告は、本件河川のような未計画・未改修河川における工作物の設置の許可基準として、いわゆる現況主義を主張している。しかし、現況主義を採用した防災科学的見地からの実質的根拠は何も示されておらず、結局のところ、財政上の制約から行政実務がこれを採用しているに過ぎないというものであつて、当初から安全を欠落させた概念であるといわざるを得ない。
(四)時間雨量の数値の信用性について
被告が主張するところの、本件災害の三日前に時間雨量五〇ミリの降雨があつたこと、及び本件災害当日の時間雨量が一一五ミリであつたことについては、その各数値はいずれも信用し難く、また後者については、仮にそれが認められるとしても、未曽有のものとはいえない。即ち、右各雨量の観測は、佐谷浄水場における観測結果であるところ、同浄水場付近に降る雨は、近くの須美川に流入し、本件河川の上流にはほとんど流入しないので、同上流に流入する雨については、障子岳浄水場で測定すべきであり、しかして、右観測結果を障子岳浄水場の観測記録と比較してみると、にわかに信を措き難く、また、時間雨量一一五ミリは、全国的な資料からみると、二〇位にも入らない数字であり、特に、福岡県のように他と比べて雨量の多い地域においては、未曽有でも希有でもなく、当然予想し得る程度の集中豪雨であつたからである。
5以上によれば、被告の主張はいずれも理由がなく、被告には、原告らが主張する責任原因が肯定されることは明らかといわねばならない。
第三 証拠<省略>
理由
一 当事者の地位等
請求原因第1項中、被告の地位、本件河川の状況及び原告前岡政男、同小浦昭男、同西トモエの訴訟承継に関する事実については、いずれも当事者間に争いがない。
なお、<証拠>並びに弁論の全趣旨によれば、原告ら及びその家族は、本件災害当時本件被災地に居住していたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
二 本件災害の発生
1 本件河川及び本件橋梁付近の概況
(一) 本件河川が、三郡山山系にその源を発し、福岡県粕屋郡宇美町及び志免町を貫流して多々良川と合流し、博多湾へ注いでいる二級河川であることは、前記一のとおりである。
(二) <証拠>によれば、以下の各事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
(1) 本件河川は、総延長およそ一六キロメートル余の河川であるが、本件橋梁の架設工事がなされた昭和四三年当時には、長期的な施設整備基本計画の対象とされているのみで具体的な改修計画の対象とされていない、いわゆる未計画、未改修河川であつた(この点は、現在においてもなお、下流の一部を除いて変りがない。)。
(2) 本件河川は、本件橋梁の設置箇所からおよそ一〇〇メートル上流の地点で、左方から至る仲山川と合流し、その合流点付近から右方に「くの字」型に湾曲した形状をなしているところ、本件橋梁は、その湾曲部にあたる箇所に設置されている。
(3) 本件河川は、本件災害後、本件橋梁下流二〇〇メートルの地点から上流に向つて約二、〇〇〇メートルの区間にわたり改修工事が施されたが、本件災害前にあつては、同橋梁の上流約六〇メートルの箇所に床止めが、下流約七〇ないし八〇メートルの箇所に固定式の取水堰が、それぞれ設置され、同橋梁付近から右取水堰に向つて河底は二〇〇ないし三〇〇分の一程度の下り勾配をなしていたが、本件災害後の右改修工事により、右床止めの下流約7.5メートルの箇所に新たな床止めが別途新設されたほか、右取水堰が、洪水が発生したら転倒する方式の可動式構造に作り替えられた。さらに、本件橋梁付近にかぎつていえば、河幅が、本件災害前にはおよそ一四ないし一五メートル程度であつたものが、右改修工事により、約二三メートル余に拡張されている。
(4) 本件災害発生当時、本件河川の堤防は、右の如く同河川が未計画、未改修の状態であつたことから、いわゆる自然堤防のままであり、本件橋梁設置箇所における堤防高は、左岸のそれが右岸のそれよりやや高く、また、本件橋梁より上流の本件堤防上や河川敷の一部では畑作が行われていた。
2 本件橋梁の構造等
<証拠>によれば、以下の各事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
(一) 本件橋梁は、昭和四三年、主要地方道である二日市古賀線の一部として宇美町大字早見字粥田地内の前記1(二)(2)のような湾曲部に設置されたものであるところ、立地上、他に例がないわけではないが比較的珍らしい、いわゆる斜橋(河川の流心方向と当該橋梁との角度を示す斜角は、狭い方で約三〇度程度)として架設されている。
(二) 本件橋梁は、本件河川の高水時の流水に支障を与えないようにするため、長さ四五メートル、幅約七メートルの、いわゆるワンスパン構造をなしているが、それだけにまた、本体橋梁に要求される所定の強度を確保する必要から、主桁は1.7メートルの厚さを有し、かつ、高水位を56.48メートル、低水位を五五メートル、桁下高を57.098メートル、桁下空間を0.618メートルとする設計値に基づいて設置されている。
(三) 本件橋梁を架設する際には、その橋台の桁受けが既設の自然堤防の天端高より若干高くなるように設置され、右橋台部分を中心とした上下流にわたる堤防の河川側法面には、護岸のためブロックを用いた、いわゆる仕戻し工事が施されていた。
(四) 本件橋梁の主桁は、右橋台の桁受け上に据えられているため、前記1(二)(4)で認定した、本件災害発生当時における本件堤防の天端高と右主桁の桁下高とは、同橋梁の上流側左右両岸とも、後者が前者より若干高く位置するように設置され、後記認定の決壊、氾濫が生じた右岸側においては、その較差は約三〇センチメートル程度であつた(検証の結果((第一回))における原告ら及び被告双方の一致した指示説明による。もつとも、検証の結果((第二回))においては、原告らは、右較差は約四〇センチメートル程度あつた旨の指示説明をしている。)。
3 本件災害発生の経緯
(一)全般的概況
<証拠>によれば、以下の各事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
(1) 昭和四八年七月二七日夕刻から翌二八日早朝にかけて、福岡県全域に相当多量の降雨があり、本件河川の集水流域にあつてその流量とかかわりがあるとみられる宇美町障子岳水源池の観測所においては、右二七日午後一一時から二時間雨量(一二〇分継続雨量)は七二ミリ、翌二八日午前零時からの時間雨量(六〇分継続雨量)は五一ミリと記録されたが、本件河川は、右の降雨に際しては、本体橋梁付近を含めて、これら降雨による流量を無事流下させた。
(2) 本件災害当日の前日である同月三〇日午後九時頃、朝鮮東岸にあつた九九六ミリバールの低気圧が日本海に進んできたことにより、それに伴う寒冷前線が九州北部沿岸に達し、さらに、翌三一日午前六時頃熊本県にまで南下してきたため、同前線の通過に伴い、三〇日夜半過ぎから三一日早朝にかけて、福岡県下一円、ことに春日市を中心とする約三〇キロ周囲の地域に雷を伴つた集中豪雨(以下「本件集中豪雨」ともいう。)があり、これにより、同市においては、三一日午前一時四五分から同二時四五分までの時間雨量一一五ミリ、右時刻頃の二時間雨量約二〇〇ミリ、三〇日午前九時から三一日午前九時までの日雨量二三二ミリを記録するに至つた。
(3) 本件集中豪雨は、本件河川の流域においても例外ではなく、右障子岳水源池の観測所においてこそ観測計器流失のため当日の降雨記録が不明の結果に終つているが、本件河川の集水流域からして同河川の流量と直接の関係は薄いものの、地理的には同観測所から約一キロメートルしか隔たつていない須恵町佐谷浄水場における観測では、三一日午前一時二〇分からの時間雨量一一五ミリ、同日午前一時からの二時間雨量二一〇ミリ、三〇日午前九時から三一日午前九時までの日雨量二三九ミリを、それぞれ記録するに至つた。
(4) 右の結果、前記二八日の降雨で飽和状態にあつた山間部においては、本件集中豪雨の降雨量がそのまま有効雨量となつて流出し、本件河川をはじめとする福岡県下の各河川において警戒水位を軽く突破する事態が生じ、同県下一円に堤防決壊、浸水、山津波、土砂崩れ等が頻発し、死者二四名、行方不明者四名、重軽傷者六四名、非住家を除く家屋の全壊一一六戸、同半壊一七三戸等の被害が生じたが、本件河川の流域においても、ほぼ一〇箇所余にわたつて破堤による河川氾濫等が発生した。
(二)せき上げの状況
<証拠>によると、本件災害発生当日の午前二時前後頃、本件橋梁の上流側においては、本件河川の流水が右岸堤防を越えて氾濫し、本件被災地に流れ込んでいたが、その際、本件橋梁の橋桁にまで水位が達し、流水が右橋桁を打つて渦を巻く状態であつたことが認められ、この事実からすれば、本件堤防の決壊当時、本件橋梁上流側の水位はかなり上昇し、いわゆるせき上げの現象をきたしていたことを肯認することができ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
もつとも、この点に関し、原告らは、本件災害当時、本件橋梁の橋桁に多数の流木等が引掛かり、そのため本件河川の流下能力に重大な障害を与えて、右せき上げの現象をきたしていた旨主張しているところ、<証拠>によれば、本件災害直後、本件橋梁付近にかなりの数の流木等(木の枝、根株等を含む。)が集められて、山積みされていたばかりか、本件被災地には、多量の土砂等にまじつて多数の流木等(右に同じ。)が流れ込んでいたことが認められ、また、検証の結果(第一、二回)及び証人後藤賢一の証言によれば、本件橋梁の橋桁(主桁)には、流木が衝突したことによつて生じたとみられる痕跡が残存していることが認められる。しかしながら、他面、前記犬塚及び柴田の各証言によれば、同人らが本件橋梁の上から本件河川上流側の流水の状況を観察した際、すでに流水が本件橋梁の橋桁を打つて渦を巻き、かつ、右岸側堤防を越えて本件被災地の方向に溢れ出し、同堤防の天端を削りとつていたにもかかわらず、本件河川内では、柴田が本件橋梁の上流約六メートルの位置に流木一本が立つていて、それに木の根等が引掛かつているのを現認し、犬塚が小さな枝様の木材が水面上に出ているのを目撃した程度であつたことが認められ、また、<証拠>によれば、河川氾濫時に流木等が橋梁に堆積するのは、橋梁の径間長が重要な影響を及ぼすとともに、河川の流水が橋梁の橋桁に達して桁下余裕高が失われた場合において、その堆積が急激に増加することが窺われる。そして、これらの各事実に加えて、既に認定したように、本件橋梁が、河川内に橋脚を持たない、いわゆるワンスパン構造となつていること、及び、本件橋梁上流側の堤防の天端高は、右岸のそれが左岸のそれよりやや低く、かつ、この左右両岸とも、本件橋梁の主桁の桁下高より、若干(右岸側で約三〇センチメートル程度)ではあるが低くなつていたことを考え合わせると、本件災害当時、本件河川の流水が本件橋梁の橋桁にまで達し、いわゆるせき上げの状況を示していたことは明らかであるが、本件堤防の決壊に至る以前に、右橋桁に流木等が引掛かつて堆積し、そのために本件河川の流下能力が阻害されていたことまでを肯認することはできない。
(三)本件堤防の決壊、氾濫及び本件災害の発生
請求原因第2項中、昭和四八年七月三一日午前二時頃本件河川が氾濫し、原告らが主張するような災害をこうむつた者がいたことは、当事者間に争いがなく、また、<証拠>によれば、本件河川が氾濫するに至つたのは、前日来の豪雨による出水のため、本件橋梁のすぐ上流にある右岸堤防(別紙図面記載のイ、ロを結ぶ赤線で表示する部分、湾曲部の内側堤防)がおよそ一三〇メートルにわたつて決壊したためであること、本件河川の氾濫により、本件被災地である宇美町福博中央区において、控え目に見積つても非住家を除く家屋の全壊二戸、同半壊二五戸、床上浸水九四戸を上回る被害が生じ、同区に居住する原告らは、いずれも右の家屋全半壊、床上浸水等及びそれに伴う家財道具類の流失等の被害をこうむつたことが認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
三 本件堤防決壊の原因
前記のとおり、本件災害は、つまるところ本件堤防の決壊によつてもたらされたものであるところ、<証拠>によれば、一般に河川堤防の決壊原因としては、河川流水による溢流、浸透、洗掘、水圧の四種の作用があることが認められる。
しかして、本件においては、本件堤防が右のうちのいかなる作用によつて決壊するに至つたのかを直接明らかにする証拠はないが、前記認定の本件堤防の決壊部位、本件河川及び本件橋梁付近の概況、本件橋梁の構造等並びに本件災害発生に至るまでの経緯、とりわけ、本件橋梁が湾曲部に設置され、本件堤防の決壊部位は湾曲部の内側堤防であること、本件橋梁の主桁は1.7メートルの厚さを有するものの、本件堤防高と本件橋梁の桁下高とは、後者が前者より若干高く位置するように設置されていたこと、本件災害発生前の降雨量、本件堤防決壊当時本件橋梁上流側の水位がいわゆるせき上げの状況をきたしていたこと、前記柴田及び犬塚が本件災害発生直前に目撃した本件橋梁上流の状況等の各事実に鑑みると、本件堤防の決壊は、右四種の作用のうち、溢流を主とする流水の作用によつて惹起されたものと推認するのが相当である。
四 本件河川管理の瑕疵の存否
1 原告らの主張する瑕疵の内容
原告らは、本件河川管理の瑕疵として、先ず、本件橋梁は、その主桁が不必要と思われるほど部厚く、流木等の流れ込みが十分予想される本件河川に架設される橋梁としては、その桁下高が必要な余裕高を加算した高さとなつていないため、流木等を伴う洪水の流下に対し明らかに重大な障害となることが予測されたのに、知事が、何らのチェックもせずに、漫然その設置に許可を与えたことは、本件河川の管理上瑕疵があつたものというべく、次に、本件災害当時、本件橋梁付近の河床における土砂の堆積には著しいものがあり、かつ、本件橋梁設置後本件河川上流の国有林が大量に伐採されるなど、本件河川全体及び本件橋梁付近の状況は本件橋梁の架設当時に比して顕著な変化が生じていたのに、知事が、本件河川の流下能力を確保するための、本件橋梁付近の河幅拡張工事や河床浚渫工事を施すことを怠つたことは、本件河川自体の管理に瑕疵があつたものというべく、さらに、右二種の瑕疵は、そのそれぞれが独立した瑕疵であると同時に、それらが競合することによつて、災害発生の危険性が倍加されるという結果を招来した、旨を主張している。
2 管理の瑕疵の意義
(一) 一般的に、国家賠償法二条一項における「公の営造物の設置又は管理の瑕疵」とは、当該営造物の設置または管理につき、それが通常有すべきとされる安全性を欠いていることをいい、これを河川に当てはめて考察すれば、河川における通常有すべき安全性とは、当該河川が置かれている地形、地質等の自然的条件の下で、許可工作物等の人工設備を含めた河川全体として、通常予測される洪水に対しては、これを安全に下流へ流下させ、もつて右洪水による災害を堤内地住民に及ぼすことのないような安全な構造を備えることをいう、と解するのが相当である。
なお、河川を含めたこられの営造物の設置または管理の瑕疵に基づく損害賠償責任の存否の判定に当つては、人工公物、自然公物といつた公物成立上の分類によつてその管理責任の範囲に質的な差異を設けることは、国家賠償法の趣旨に反し、相当でないといわなければならない。
(二) しかして、当該河川が、許可工作物を含めた河川全体として通常有すべき安全性を備えていたか否か、すなわち、当該河川の管理の瑕疵の有無については、その立証責任は、特に立証責任の転換を認むべき法的根拠も認められないことから、通常の立証責任の原則に従つて、瑕疵の存在を主張する側が負担すると解するのが相当である(したがつて、この点に関する原告らの反論1は理由がない。)。
しかしながら、前記本件堤防決壊の原因判定の際に考慮した本件橋梁の設置位置及び構造等、本件災害発生前の降雨量、本件橋梁の橋桁により生じたせき上げの状況並びにそれらによつて推認される本件堤防決壊の原因、さらには、河川法一三条により、堤防その他の河川管理施設の構造の基準については、水位、流量、地形、地質その他の河川の状況及び自重、水圧その他の予想される荷重を考慮した安全な構造でなければならない旨規定されていることを前提とすれば、これらの事実の存在のみをもつて、本件橋梁の設置許可に関して本件河川管理上の瑕疵が存在したこと、あるいは、本件河川自体の管理面で、本件河川の流下能力を減少させる管理の瑕疵が存在したことが推認され、したがつて、被告において右のごとき瑕疵が存在しない旨の反証をしない限り、これらの瑕疵を容認しなければならないと考えられる。
3 瑕疵の有無について
(一)本件橋梁の設置許可による管理の瑕疵について
(1) 前記のとおり、河川における通常有すべき安全性とは、当該河川につき通常予測される洪水に対して、これを安全に下流へ流下させ、もつて洪水の発生を防止し得る構造を備えることを意味するものであるから、このことを本件に当てはめれば、本件橋梁を設置するに際し、通常予測される洪水をどの程度と想定して設計されたものであるか、その想定された数値が適切であつたか否かが問題となるところ、洪水の発生は、これをもたらす降雨量と密接不可分の関係にあることから、つまるところ、本件橋梁設置の際、どの程度の降雨量をもつて通常予測される降雨量とみて、その流下能力等の設計がなされたものであるか、その予測された降雨量の数値が適切であつたか否かが問われるべきこととなる。
(2) <証拠>によれば、以下の各事実が認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない。
(ア) 我国における河川に関しては、建設省が中心となつて、昭和三五年以来五次にわたり治水事業計画を策定し、改修計画の対象とされた河川につき逐次整備を進めているところ、同計画では、中小河川については、時間雨量五〇ミリをもつて通常予測される降雨量とし、これを基準として改修計画を建てている。他方、本件河川の如き改修計画のない河川に工作物を設置する場合には、河川局長の通達により、原則として現況の河積を侵さないように配慮すれば足りるとする、いわゆる現況主義の方針がとられている。
(イ) 建設省は、本件橋梁の架設当時、被告主張の設置基準案をもつて、河川法所定のいわゆる許可工作物設置の際の指導方針としており、本件橋梁も、右指導方針に従つて設置された(したがつて、本件橋梁の架設当時、許可工作物の設置に当つては構造令案が指導方針とされていたとの原告らの主張は、これを前提とするその余の主張と共に、いずれも理由がない。)。
(ウ) 右設置基準案によると、「橋梁の最低桁下高は計画堤防高以上としなければならず、計画堤防高のない場合(本件河川は、これに該当する。)の桁下高は、高水位に余裕高を加えた高さ以上とする。」とされており、「高水位に余裕高を加えた高さ」とは、改修計画のない河川については「雨量、水位痕跡により算定して必要な高水流量及び高水位に余裕高を加えた高さ。」とされていた。
(エ) 本件の場合、被告の主張する昭和三八年六月二九日の日雨量である二二九ミリを基礎として、別紙計画高水流量算定方式に従つて計算してみると、計画高水流量は毎秒九五立方メートルであり、これを流下せしめるべき高水位は56.48メートルと算定されるところ、本件橋梁の実際は、前記のとおり57.098メートルであつて、右高水位に0.618メートルの余裕高を加えた結果となつている。
(オ) なお、本件橋梁は、本件河川の湾曲部に架設されているところ、本件災害をもたらした堤防決壊は、右湾曲部の内側にあたる右岸側で生じているけれども、他面、その後背地の形状を右湾曲部の外側にあたる左岸側と比較すると、後者が前者より高くなつており、かつ、前記仲山川の流れ込みもあつて、本件河川の流水量の増大ないしそれに伴う本件橋梁によるせき上げがあつた場合、右岸側で溢水破堤を生じやすい地形となつている。
(3) しかして、右認定の(2)(ア)ないし(オ)の各事実、及び、前記認定のとおり、本件災害発生の三日前である昭和四八年七月二八日には時間雨量五一ミリ、二時間雨量七二ミリの降雨があつたが、本件河川は、本件橋梁付近を含めて、これを無事流下させていることを総合して考察すれば、本件橋梁は、日雨量二二九ミリを基準として計算された計画高水流量よりさらに余裕ある数値を基礎として設計及び設置されており、また、本件河川は、本件橋梁付近を含め、時間雨量五一ミリ、二時間雨量七二ミリの降雨に対しても、十分流下能力を有していたものと認めざるを得ない。
(4) そこで問題となるのは、本件橋梁の設置を許可したことによる本件河川管理の瑕疵の有無を判断するに際し、日雨量二二九ミリあるいは時間雨量五〇ミリ(<証拠>によれば、福岡管区気象台の記録上、時間雨量五〇ミリは五ないし一〇年に一回の確率で、日雨量二二九ミリは二〇ないし二五年に一回の確率((別紙雨量確率計算式(一)のとおり))で、それぞれ生じ得る可能性をもつた数値であると認められる。なお、証人佐藤守の証言中これに反する部分は、右各証拠に照して措信できず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。)の値をもつて、通常予測し得る降雨量と認めることが妥当であるかということである。
しかして、右の点につき、九州大学教授で地球物理学を専攻している前掲証人後藤賢一は、その証言中において、本件橋梁の設置に当つては、通常予想し得る降雨量としては、福岡管区気象台観測の過去の最大日雨量が明治二四年(西暦一八九一年)七月二二日の389.8ミリであるから、これを参考にすれば四〇〇ミリを基準としてもしかるべきである、したがつて、これを本件河川の形状やその周辺の地形等に即して具体的に計算すれば、計画高水流量としては毎秒二六〇立方メートルあるいは少な目に見積つても同二〇〇立方メートルを基準とするのが相当である旨供述している。しかしながら、前記のとおり、河川を含めた営造物の設置または管理の瑕疵に基づく損害賠償責任の判定に当つては、人工公物、自然公物といつた公物成立上の分類によつてその管理責任の範囲に質的な差異を設けることは相当でないとしても、河川の管理においては、管理の対象がもともと人為的、計画的に設置されたものでなく、昔から氾濫を繰返して自然に形成されてきたものであつて、洪水をもたらす異常豪雨等自然現象自体を制御することは不可能であるうえ、河川の安全性を高めるためには、堤防の構築、強化のみによる河川の改修には自ら限度があり、河幅の拡張あるいは河道の掘削、流路の修正等(なお、<証拠>によれば、これらの工事は、河川全体にわたる安全性の確保という見地に鑑みた場合、一般的には、下流から上流に向つて順次段階的に進められる必要があり、上流の一局部のみの安全性に着眼し、当該箇所において右各工事を先行させることは、かえつて適切な措置とはいえない場合があることが認められる。)河川管理面ではもちろん、ダムの設置、河川流域の開発規制、保安林の指定、維持等当該河川の全体の系としての環境や特性に応じた多岐にわたる施策が必要とされることを特色とするから、他の営造物の場合に比して格段に巨額の費用が準備され、高度な技術が提供されなければならず、また、用地の買収、住宅の移転、水利権等との調整等社会的見地からみても、困難な問題の解決が図られなければならないことを考えると、当該河川の通常有すべき安全性の判断に当つては、右に述べた河川管理の本質上、これらの財政的、技術的、社会的側面から諸制約が内在することを無視するわけにはいかないのは、むしろ当然というべきである(したがつて、この点に関する原告らの反論3は当を得ないものである。)。しからば、単に福岡管区気象台観測の過去の最大日雨量が389.8ミリであるから、これを基準として計画高水流量を定めるべきであるとの証人後藤賢一の供述部分は、将来到達すべき目標としてならば格別、これをもつて直ちに、本件橋梁あるいは本件河川の通常有すべき安全性を判断する際の参考とはなし得ないものといわなければならない。
(5) なお、<証拠>並びに弁論の全趣旨によれば、前記佐谷浄水場における時間雨量一一五ミリ、二時間雨量二一〇ミリという降雨量は、財団法人日本気象協会福岡本部が昭和元年から同四七年までに九州各県と山口県で死者、行方不明五〇名以上、非住家を除く家屋の全壊、流失一〇〇棟以上の被害が生じた災害二〇事例につき収集した大雨の資料(甲第二七号証)中の時間雨量の極値と対比してみると、同三二年七月二四日から同月二九日にかけて発生した大雨の際の極値長崎県大村市内の一四一ミリ、同三四年七月一三日から同月一六日にかけて発生した大雨の際の極値宮崎県北俣の一一二ミリ、同三八年六月二九日から同年七月三日にかけて発生した大雨の際の極値佐賀県岸高の一一一ミリ(この大雨の際には、福岡県市の瀬でも一〇五ミリの降雨があつた。)、同四二年七月七日から同月九日にかけて発生した大雨の際の極値長崎県国見山の一二六ミリ、同四六年七月一七日から同月二六日にかけて発生した大雨の際の極値長崎県佐須奈(対馬)の一二〇ミリ、同四七年七月三日から同月六日にかけて発生した大雨の際の極値熊本県竜ヶ岳の一三〇ミリといつたような、本件災害の場合における降雨量と匹敵する事例も見受けられるけれども、他面、右大雨資料中にあらわれた、福岡管区気象台観測の降雨量からすれば、時間雨量五〇ミリを超えるものとしては、昭和一六年六月二五日から同月三〇日にかけて発生した大雨の際の五九ミリ(これが同大雨の極値となつており、被告主張の別表2「年最大六〇分雨量」の四位の降雨に当る。)、同二八年六月二四日から同年七月一日にかけて発生した大雨の際の63.3ミリ(右別表2の三位の降雨に当る。なお、この大雨の極値は、山口県下関市内の七七ミリである。)、同三八年八月一四日から同月一八日にかけて発生した大雨の際の51.5ミリ(この大雨の極値は熊本県阿蘇山の七五ミリである。)が見受けられるにとどまつており、かつ、福岡管区気象台が同二八年九月に、同気象台及び福岡県土木部が同二九年一月に、それぞれ前記同二八年六月二四日から同年七月一日にかけて発生した大雨による災害(いわゆる北九州水害)の原因分析のために調査した資料(甲第二二及び第二三号証)からすれば、福岡管区気象台が観測した、明治中期から右災害発生までの集中豪雨の時間雨量としては、西暦一九四〇年(昭和一五年)八月二五日の67.2ミリ(前記別表2の二位の降雨に当る。)、右災害発生の原因をなした昭和二八年六月二五日の63.2ミリ(同三位の降雨に当る。)、西暦一九〇二年(明治三五年)八月二五日の五九ミリ、同一九四一年(昭和一六年)六月二八日の58.5ミリ(同四位の降雨に当る。)、同一九四二年(昭和一七年)八月二七日の57.8ミリ(同五位の降雨に当る。)、同一九〇九年(明治四二年)九月二四日の57.3ミリ(同六位の降雨に当る。)が一位から六位までを占めており、少なくとも本件河川流域及びその周辺についてみるかぎり、かような、時間雨量一一五ミリ、二時間雨量二一〇ミリといつた高い数値の集中豪雨の発生をみたことは、既往において存しなかつたこと、右時間雨量は一一五ミリの降雨量につき、福岡管区気象台観測の明治四二年以降昭和五四年までの間の時間雨量の資料に基づき、別紙雨量確率計算式(一)と同一の手法で超過確率を計算してみると、別紙雨量確率計算式(二)(同計算式につき、これを不合理とする根拠は見出せない。)のとおり、二〇〇〇分の一よりも小さなものとなり、二〇〇〇年に一回の割合でも生じない程の数値となることが認められるところ、そうであるからには、本件橋梁付近の高水流量及び高水位を算出するに当り、かような時間雨量一一五ミリ、二時間雨量二一〇ミリまたはそれらに近似した高い数値を基礎とするのでなければ、本件橋梁ないし本件河川の通常有すべき安全性が損われるとまで評価するのは、いささか無理があるというべきである。
(6) しかして、前記認定の二1(一)、同(二)(1)ないし(4)、同2(三)及び(四)、四3(一)(2)(ア)ないし(エ)の各事実並びに同(3)ないし(5)で示した判断を総合して考察すると、本件河川についていうかぎり、時間雨量五〇ミリ、日雨量二二九ミリの各数値をもつて、必ずしも通常予想し得る降雨量として妥当を欠く数値ということはできず、したがつて、本件証拠上、本件河川が本件橋梁付近で最大限どの程度までの流下能力を有していたかを具体的に把握することはできないが、少なくとも、日雨量二二九ミリを基準として計画高水流量を算定したうえで架橋され、また、時間雨量五一ミリ(二時間雨量七二ミリ)の降雨の際に流下能力を示した本件橋梁の設置を許可したこと自体をとらえて、時間雨量約一〇〇ミリ、二時間雨量約二〇〇ミリを下回らなかつたと認められる本件集中豪雨の際の降雨量を安全に流下させることができなかつたからといつて、直ちに、本件河川の管理上損害賠償責任の根拠となるべき瑕疵があつたとまで認めることはできない。
そうすると、結局、本件橋梁の設置許可に関する瑕疵については、右反証が認められたことにより、本件河川管理上の瑕疵の存在に関する前記推定は覆えつたものといわざるを得ず、そうであるならば、つまるところ、原告らは、本件橋梁の設置許可に関する瑕疵の存在について必要な立証をつくさないことに帰着するから、その余の点について判断するまでもなく、本件河川の管理につき右瑕疵の存在することを前提とする原告らの主張は理由がなく、これを採用することができない。
(7) なお、如上説示したほか、原告らのその余の反論について敷延して考察すれば、次のとおりである。
(ア)反論4(一)(日雨量の基準)について
日雨量二二九ミリの数値が、福岡管区気象台の記録上二〇ないし二五年に一回の確率で生じ得る降雨量の数値であることは、前記認定のとおりであり、かつ、本件橋梁の設置に際し現況主義がとられたことをもつて必ずしも不当といえないことは、後記説示のとおりであるから、原告らの同反論は、その前提を欠き理由がない。
(イ)反論4(二)(計画高水流量の算定)について
一部原告らの主張に副う証人後藤賢一の証言は、証人鍋山晃、同山口一弘及び同矢野光夫の各証言に照して措信できず、他に前記計画高水流量の数値がことさら過少に算出されたことを認めるに足りる証拠はないから、原告らの同反論も、理由がない。
(ウ)反論4(三)(いわゆる現況主義の採用)について
河川管理に関しては、前記説示のとおり、その本質上、財政的、技術的、社会的諸制約を全く無視することはできないから、未計画、未改修河川につき原則としていわゆる現況主義が採られていることも、やむを得ない措置といわなければならない面があり、少なくともいわゆる現況主義が採られていること自体から、直ちに、通常の安全性を欠如した措置であるということはできない。しかるに、本件橋梁設置当時、本件橋梁上流側の堤防は、左右両岸とも、若干(破堤、氾濫が生じた右岸側で約三〇センチメートル程度)ではあるが、本件橋梁の桁下高より低い堤防高となつていたことは、前記認定のとおりであり、また、<証拠>並びに検証の結果(第一回)によれば、本件河川においては、本件災害の生じた時刻と相前後して、本件集中豪雨により、約一三〇メートルの破堤、氾濫を生じた本件災害のほか、本件橋梁の上、下流を通じ、約一八〇メートル、約一七〇メートル、約一二〇メートル、約七〇メートル、約六〇メートル、約四〇メートル、約二〇メートル各一箇所ずつ、約一三〇メートル二箇所、約九〇メートル三箇所の各破堤、氾濫が生じ、本件河川流域の志免町ではその約七〇パーセントが浸水するに至つていることが認められるところ、この事実に<証拠>を合わせ徴すると、本件河川は、未計画、未改修の河川として、本件橋梁上流付近以外の全地域でも、右上流付近と同様の自然堤防が多く、かつ、ほぼ同じような堤防高となつていたことが推認されるから、本件橋梁の設置とその許可に当り、本件橋梁付近の河積の現況を侵さない、いわゆる現況主義が採用されたことをもつて、直ちに、本件災害発生の直接的な原因をなしたとか、通常の安全性を欠く不当なものであると速断することはできない。
したがつて、この点に関する原告らの前記反論もまた理由がない。
(エ)反論4(四)(時間雨量の数値の信用性等)について
前記認定のように、佐谷浄水場における観測結果は、同浄水場が本件河川の流域にないことから、本件河川における流量と直接の関係は薄いものの、本件河川の流量と直接の関係がある障子岳水源地の観測所と右佐谷浄水場の観測所とは僅か約一キロメートル隔つているだけであるところ、<証拠>によれば、本件集中豪雨は、福岡県下全域にわたるもので、その結果前記認定のごとき広汎な被害が発生したとはいえ、右佐谷浄水場や前記春日市等にみられたような極端に激しい降雨は比較的狭い範囲に限局されていたが、少なくとも右障子岳水源池は優に包含される程度の帯状の地域には及んでいたことが明らかであり(例えば、篠栗町内住では時間雨量一〇七ミリ、須恵町須恵では同九二ミリ、那珂町では同九九ミリ)、また、<証拠>によれば、ある程度以上の降雨量については、右佐谷浄水場の観測所におけるそれと右障子岳水源池の観測所におけるそれとがほぼ照応していることが認められるので、帰するところ、本件災害発生直前における右障子岳水源池付近(さらには、本件河川流域)の降雨量は、ほぼ右佐谷浄水場におけるそれに匹敵するものであつたと推認するのが相当である。
さらにまた、<証拠>によると、佐谷浄水場における時間雨量一一五ミリという降雨量は、我が国における既往時間雨量の最大値からすれば、その二〇位に入つていないことが認められるけれども、本件におけるがごとく河川の管理の瑕疵が問題とされる場合には、当該河川の流量にかかおりのある地域を中心とした、当該河川をめぐる諸種の状況から相当と認められる範囲の土地の降雨量を基準とすべきであつて、これを全国的な降雨量の数値と比較し、それを基準として通常予想し得る降雨量を考えるのは、必ずしも合理的ということはできない。
したがつて、これらの点に関する原告らの前記反論もまた、理由がない。
(二)本件橋梁付近における河川自体の管理の瑕疵について
<証拠>によれば、本件災害前には、本件河川の上流にあたる三郡山山系の山岳地域において、その程度はともかく、国有林の伐採が行われていたこと、さらに、本件災害の発生当時、本件橋梁付近において本件河川の浚渫工事等が実施されたことはなく、また出水のない平常時にあつては、同河川の随所に寄洲、中洲等や雑草の繁茂がみられていたこと、これに加えて、本件橋梁下流側の左岸部分には、前記二2(三)認定の仕戻し工事が施された結果、川面に向つて突出したような形状をなしていたこと、もつとも、右仕戻し工事については、本件橋梁架設にあたり、少なくとも従前の河積を侵すことがないようにするため、それまでの堤防より若干河幅を拡げる位置に施工されていることがそれぞれ認められ、この認定を覆えすに足りる証拠はない(なお、<証拠>によれば、本件橋梁の桁下空間はかなりの狭さとなつていることが窺われるが、これらは、いずれも、本件災害直後の状況を撮影した写真であり、洪水による土砂の運搬堆積等に基づく河床の変化を考慮に加えたうえで観る必要があるので、本件災害前もこれと全く同様の状況であつたと断定することはできない。)。
しかし、右に認定したような状況があつたとしても、前記のとおり、本件河川は、昭和四八年七月二八日の時間雨量五一ミリ(二時間雨量七二ミリ)の降雨に際しては、これを無事流下させていることは否めないのであるから、少なくとも本件河川全体の流下能力を前提とするかぎり、前記(一)(6)で示した判断と同様の理由により、時間雨量約一〇〇ミリ、二時間雨量約二〇〇ミリを下回らなかつたと認められる本件集中豪雨の際の降雨量を安全に流下させることができなかつたからといつて、直ちに、本件橋梁付近における河川自体の管理に瑕疵があつたということはできず(したがつて、結局、この点についても、本件河川管理上の瑕疵の存在に関する前記推定は覆えつたものというほかはない。)、他に格別の立証もないので、本件橋梁付近における右瑕疵の存在を前提とする原告らの主張は理由がなく、これを採用することができない。
五以上説示してきたところに従えば、原告ら主張の、本件橋梁設置の許可に関する瑕疵及び本件橋梁付近の河川自体の管理の瑕疵については、そのいずれの存在をも首肯できないことに帰し、かつ、原告らにおいて、そのほかには、いわゆる未計画未改修河川である本件河川管理の瑕疵につき格別の主張立証をしないので、その余の点につき判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも失当たるを免れない。
よつて、原告らの本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(篠原曜彦 吉村俊一 石村太郎)
<別紙><省略>
損害一覧表
損害算出方法(一)
〃 (二)
別図
計画高水流量算定方式
別表(一)〜(四)
雨量確率計算式(一)
〃 (二)